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藤原忠通筆書状案
ふじわらのただみちひつしょじょうあん
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国宝
藤原忠通
ふじわらただみち
1巻
紙本墨書
縦31.2cm 横980.0cm
平安時代・12世紀
京都国立博物館
B甲415
 藤原忠通(1097~1164)は、藤原忠実の子。摂政・関白を務め、太政大臣にまで昇った。和漢の学に通じ、詩集に『法性寺殿御集』、歌集に『多田民治集』がある。
 忠通は若年の頃より能書としての誉れ高く、天永2年(1111)10月の詩会でその書を見た藤原宗忠は、「就中御手跡、誠以神妙也」とこれを絶賛している(『中右記』)。忠通わずかに15歳の時の出来事であった。
 のち保元2年(1157)の大内裏新造にあたっては、殿舎・門の額を書いており、その能書としての名声のほどがうかがわれる。忠通の書は、かの時代だけでなく、後世に至るまでその法号をもって法性寺流と呼ばれ、人びとに親しまれた。
 書状案25通が1巻に収められるが、年号があるのは第6通目の1通だけで、そこには「大治六年(1131)正月廿八日、関白従一位藤原朝臣忠通上」と記されている。書状は正月から月を追って収められており、また1紙に2通の書状を書き込んだり、紙の継ぎ目に字を書くものがあることなどから、一種の書状往来(手紙の文例集)として作成されたものと推定される。
 ちなみに署名は、書札令に則り、上位の者に宛てたものには「藤原忠通上」「忠通上」のように実名(諱)を、また自分より身分の低いもの宛てには「摂政」「関白」のように役職名を記している。忠通の筆跡を知る上で貴重なもの。