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旧江戸城写真帖
きゅうえどじょうしゃしんぢょう
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重要文化財
指定名称:旧江戸城写真帖(六十四枚)
蜷川式胤編
にながわのりたね
1帖
鶏卵紙
明治4年(1871)
東京国立博物館
 この「旧江戸城写真帖」は当時の太政官の役人(少史)であった蜷川式胤(1835−82年)が写真師・横山松三郎と絵師・高橋由一の協力を得て、明治4年(1871)に作製した旧江戸城の記録写真集である。
写真術は19世紀後半にヨーロッパで発明されたが、初期のダゲレオタイプやカロタイプなどの技法は撮影と現像に手間のかかるものであり、かつ再現性に乏しかった。それに比べて、「旧江戸城写真帖」は湿式コロジオン法といわれる撮影技法を用いられており、その特性は、感光能力に優れ、取り扱いも簡便であった。印画紙は鶏卵紙(文字通りの鶏卵を用いる)で、画像が鮮明で保存性もよいので広く用いられた。この写真帖でも第31図「本丸重箱櫓中ノ渡門図」の左端下方に型押し(エンボス)された「No68BFKRives」によってフランス製の鶏卵紙を用いていることがわかる。写真技術および関連の製品の製造にかけては当時フランスが先進国であったのである。
さて「旧江戸城写真帖」の現状は、厚い台紙2枚を横に貼りつないで4頁の独立した丁とし、全部で16丁、64頁を重ねる。そして各頁に1枚ずつ四つ切り判の焼付写真を貼りつける。中には構図を整えるためか天地左右をわずかに切り調えられたものもある。これらの台紙全体をくるむように厚紙の上に一部革を張ったクロス張りの表紙をつけ、アルバムにする。当時このような製本・製版の技術は日本にはなく、このアルバム帖の状態で輸入され、台紙の枚数に合わせて写真を貼り付けたものと思われる。
写真には、蜷川により第1図から第64図まで墨と思われる筆跡で順番が記入されている。場面の順番は、江戸城中心部から周辺の各見附に向かっており、主要な建物や場所については蜷川の同筆で画面上に注記されている。全写真には高橋由一により淡彩(顔料による水彩)が施されている。現在は、横山が写し取った画像の輪郭はかなり失われ、この着色によって場面の判別が可能であるといえる状態である。また見返しの表と裏には「東京之図」「東京城図」の地図2枚が糊付けされており、後者には「明治四年辛未写生之 蜷川式胤」の款記と「宮道(蜷川の旧姓)式胤」の単廓朱方印が捺されている。
「旧江戸城写真帖」が制作された経緯は、見返しに付された蜷川の太政官への伺書控によって知られる。それによると「破壊ニ不相至内、写真ニテ其ノ形況ヲ留置」ことは「後世ニ至リ亦博覧ノ一種」になるという。つまり本写真帖の製作は、当初から対象が文化財(当時の観念では博物といってもよい)として認識されており、その記録に写真をいち早く採り入れたことで、写真史上のみならず近代文化財保護の原点ともいえる点で貴重であるとして重要文化財に指定された。「旧江戸城写真帖」の制作を経験した蜷川、横山、高橋らは、翌明治5年に奈良や京都の古社寺と正倉院の宝物調査を行い(干支にちなんで壬申検査という)、多数の記録写真を残した。写真による記録保存の方法が文化財保護に対して有効であることが示されたといえよう。2000.06.27(平成12.06.27)指定。